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横浜地方裁判所 昭和44年(ワ)538号 判決

原告 中井正司

〈ほか一名〉

右原告両名訴訟代理人弁護士 角尾隆信

被告 小川光子

〈ほか二名〉

右被告三名訴訟代理人弁護士 平沼高明

渡名喜重雄

服部訓子

主文

被告らは共同して原告中井正司に対し金二、四八四、八〇九円及びこれに対する昭和四四年四月八日以降完済迄年五分の割合による金員の、原告中井久子に対し金三、〇七七、三七九円及びこれに対する右年月日以降完済迄年五分の割合による金員の各支払いをせよ。

原告両名の各請求中その余を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を被告らの、その余を原告両名の負担とする。

この判決は、第一、三項に限り、仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

(事故の発生)

一  訴外亡小川公二運転の普通乗用自動車(横浜五ぬ八九―五四号)が昭和四三年一月一一日午前零時四五分頃、横浜市鶴見区末広町一の九港湾岸壁から海中に転落したこと、この事故により訴外中井礼子、同小川公二の両名が右時刻頃死亡したことは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫を綜合すれば、以下の各事実が認められる。

事故現場の横浜市鶴見区末広町一の九港湾岸壁は通称を荷揚げ場と称し、南北約一七・二〇メートル、東西約三四・九〇メートルの長方形の広場で船付場となっており、南方約一〇・二〇メートルはコンクリート舗装されており、コンクリートは北側から南側に向けて約七・二〇メートルが約六度の下り勾配であり、その先岸壁(直角に下り海底までは約五米であった。)まで約三メートルが平坦になっている。

夜間は人通りが殆んどなく、為に男女同伴者を乗せた自動車がよく停車している場所であるが、街灯等もない為附近一帯は暗く、直線である道路上からも海と陸との区別はつけ難く、又岸壁の縁には柵等もない。

岸壁東側端から一四・四五メートル、一五・四五メートルの二ヶ所のコンクリート縁石部分に、本件事故車の車体下部によってできたと認められる新しい擦過痕があり、この中間附近に白光りする鉄片の附着した擦過痕があり、これら擦過痕付近にタイヤ痕、スリップ痕はなかった。

本件事故の捜査の端緒はいわゆる一一〇番による警察への通報であったが、その内容は「前にいた車が海に落ちた」というものであった。

本件事故車(プリンス五七年式)の状態は次のようなものであった。

先ず、内部については、エンジンキーはスイッチに入っており、コーラムシフト式のチェンジレバーがニュートラルに入り、ヒーターが入っていた。サイドブレーキが約四センチメートル引かれており(ちなみに、本件事故車のサイドブレーキは約三センチメートルから重くなり、いっぱいに引くと約一三センチメートルに引くことができる。)、ランプは前照灯、車幅灯ともに消えており、前部座席はいわゆるセパレートリクライニングシートであって運転席、助手席共に後方に倒れていた。車体下部(シャーシ下廻り)については前輪端約二〇センチメートルの位置から後方に向けてマフラー及びシャーシに新しい擦過痕があり、後車輪後方のシャーシも擦過していた。

車両外部については、前後左右に衝突、接触痕、擦過痕等の異常は認められず、指紋等も検出されなかった。前部エンジンルーム内、車両タイヤ、車輪廻り、後部トランクには全く異常は認められなかった。

死者の状態は、訴外小川公二は、その下半身の着衣が殆んど脱着されており、ズボン等がわずかに足首にからみついている状態で海面に浮遊していたが、これに対し訴外亡中井礼子の着衣は、ワンピースの前のチャックが一〇センチメートル位開いており、ガーターのつりヒモが前の方が外れていた外は、殆んど正常であり、しかも同訴外人は車内で死亡していた。

以上を綜合すれば、本件事故車が運転中であり、訴外亡小川公二がその運転を誤って海中に転落したとは如何にしても認めることができず、転落に至る経過及びその原因は次の如くであったと推認される。

即ち、訴外亡小川公二は本件事故車を運転して訴外亡中井礼子を助手席に同乗させて本件事故現場に至り、傾斜のある部分に停車してサイドブレーキをひいた。

更に事故当時は季節的に寒い時期であったから、ヒーターを使用する為にエンジンは切らず、チェンジレバーをニュートラルに入れ、ランプは前照灯、車幅灯共に消して前部座席を運転席助手席共に後方に倒し、ズボン下着等下半身の衣類を脱ぎ(≪証拠省略≫によれば現場附近の海は波はそれ程強くなかったと認められ、従って海中で自然にズボン等が脱げるということは考えられない。)まさに訴外亡中井礼子との間に不倫な関係を結ばんとしていた。

ところが、その時本件事故車が突然動き始め、そのまま車両前部から先に海中に転落した(シャーシの擦過痕の状態から上記の如く推認できる。)ため右両訴外人が死亡するに至ったものであるが、前記認定の如く本件事故車の後部には何ら異常が認められず、又指紋等も検出されなかったのであるから、始動転落の原因としては、停車中のところ他の車両が後部から衝突したり或いは何者かが後部から押したりした為ということは到底考えられず(そもそも≪証拠省略≫によれば本件事故車の場合サイドブレーキが完全に入っていれば本件事故現場程度の傾斜があるとしても、二、三人で押しても動かないということが認められる。)、又≪証拠省略≫によれば、本件事故現場には前記認定の如き傾斜がある為、サイドブレーキを約四センチメートル引いただけでは静止していることは不可能であることが認められるから、結局当初はサイドブレーキを完全に引いていたものであるが、何かのはずみによりそれがはずれ約四センチメートルのところ迄ゆるんだ為に静止が不可能となって動き始め、そのまま傾斜に添って海中に転落したものと認めざるをえない。

(責任)

二 訴外小川公二が当時本件事故車の所有者でこれを自己のため運行の用に供していた者であったことは当事者間に争いがない。

ところで、被告らは前記認定の如き態様の事故は自動車損害賠償保障法(以下自賠法と略称する。)第三条にいわゆる「運行」によるものとは云えないと主張するのでこの点につき判断するに、自賠法第二条第二項は「運行」を「人又は物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいう。」と定義するが、そもそもこれを如何に解するかについては広狭二義の考え方があり、その一は発進から停車までを「運行」と解し、他の一は民法第七一五条の「業務の執行」と対置して考えることにより停車或いは駐車中もなお「運行」と解するのである。

本件の場合、後説によれば「運行」そのものであることは明白であるが、前説によるとしても本件事故が「運行」と密接な関連性(因果関係)を有することは云うまでもないから「運行によって」と云うことができる。

よって、右いずれの説によるも本件事故が本件事故車の「運行によって」生じたものであることに帰すべく、従ってこの点に関する被告らの主張は容れることができない。

更に又、被告らは被害者訴外亡中井礼子のいわゆる他人(第三者)性を争うが、本件の場合同訴外人が自賠法第三条に云う第三者に該当することはここであらためて説くまでもないところである。

以上によれば、訴外小川公二は本件事故車の保有者としてその運行により本件人身事故を惹起したのであるから、自賠法第三条本文、第四条、民法七百十一条に則り、これにより生じた財産的、非財産的損害を賠償する責任を負担したものといわねばならない。

(損害)

三 (逸失利益)

(一)  訴外亡中井礼子が事故当時○○市○○区○○○町四の一三八医療法人○○勤労者福祉協会○○病院に看護婦として勤務していたことは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば同訴外人は当時同病院から給料及び賞与として年間五四五、六〇五円を受けていたことが認められる。

同訴外人の生活費は収入の四〇%とみるのが相当であり、生活費は年間二一八、二四二円となるから、結局同訴外人の年間純収益は三二七、三六三円となる。

本件記録中の原告中井正司の戸籍謄本によれば同訴外人は事故当時満二八才(昭和一四年九月七日生)であり、≪証拠省略≫によれば健康な女性であったことが認められるから、その就労可能年数が三五年とみるを相当とする。

よって、この間における純利益を算出しホフマン式計算方法によって民法所定年五分の割合による中間利息を控除すると、同訴外人の得べかりし利益の現価は金六、五二〇、〇八八円となる。

(葬祭費等)

(二) ≪証拠省略≫によれば、原告正司は訴外亡礼子の葬祭費(死体検案書二通の代金を含む。)として合計金一八二、六四九円を支出したことが認められる。

(慰藉料)

(三) ≪証拠省略≫によれば同原告は訴外亡礼子と昭和三九年二月九日結婚した(婚姻届出同年四月七日)こと及び夫婦間はきわめて円満であり、長女原告久子(昭和三九年一一月二三日生、当時満三年余)の成長を楽しみにいわゆる夫婦共稼ぎを続けてきたことがそれぞれ認められる。

このような状態の中で、妻である同訴外人が本件事故により突然、しかも前記認定の如き状況で死亡するに至ったことは原告正司にとってまことに尽大な精神的苦痛をもたらしたと認められ、その苦痛に対しては金二〇〇万円をもって慰藉するのが相当である。

原告久子については、同原告はまだ幼く母親の死という悲惨な事実を明確に認識することのできる年令ではないが、このような幼児期にその成育にとって最も重要な位置を占めるべき母親を失なったこと、及びそれが将来同原告にもたらすであろう精神的苦痛を考えるとき、その苦痛も又まことに大なるものがあり、同原告に対する慰藉料も金二〇〇万円とするのが相当である。

(相続)

四、被告小川光子が訴外亡小川公二の妻であること、被告小川直及び同小川実が同訴外人と被告光子との間の子(二男及び三男)であることはいずれも当事者間に争いがなく、本件記録中の小川公二の戸籍謄本によれば公二と光子との間には更に本件事故直后の昭和四三年一月三〇日長女英美が出生していることが認められ、≪証拠省略≫によれば原告正司は訴外亡礼子の夫、原告久子は同訴外人の子であることがそれぞれ認められるから、訴外亡小川公二、同中井礼子が死亡した昭和四三年一月一一日にその債権債務を訴外亡公二については被告らと訴外英美が共同で、訴外亡中井礼子については原告正司及び同久子において共同でその相続分に応じ(正司は1/3、久子は2/3の割合)、それぞれ相続したこととなり、即ち前記逸失利益の損害賠償債権金六、五二〇、〇八八円は原告中井正司において金二、一七三、三六二円、原告久子において金四、三四六、七二四円分を各取得し、これらに原告正司の前記葬祭費等及び慰藉料合計金二、一八二、六四九円、原告久子の慰藉料金二、〇〇〇、〇〇〇円を加算すると、結局、被告ら及び訴外英美に対する損害賠償請求総額は原告中井正司において金四、三五六、〇一一円、同久子において金六、三四六、七二四円となる(右債務の相続につき、従来判例(大決昭和五年一二月四日民集九巻一一一八頁等)は分割債務説をとり法律上当然分割されるとするが、引当財産たる相続財産の分割に因り蒙むる債権者の不利益を防ぐためには不可分債務と解するを相当と考えるから訴外亡小川公二の債務の相続人である被告ら及び訴外小川英美は共同履行の義務を負うこととなる。)。

(過失相殺)

五、≪証拠省略≫によれば、本件事故当夜(前日たる一〇日午後八時頃)前記病院の医師であった訴外亡小川公二は同じく同病院の看護婦である訴外亡中井礼子と訴外山沢某を食事に誘ったが右山沢が残務整理を理由にこれを断ったため、訴外亡小川公二と同中井礼子の両名のみがその頃同病院を出て食事に行ったこと、一一日午前零時頃右小川が一旦同病院に帰ってきたことが認められ、その後小川は本件事故車に訴外中井礼子を同乗させて事故現場に向ったものと推認される。

ところで、本件事故現場は前記認定の如く附近一帯は暗く、岸壁の縁には柵等もないのであるから、そもそも自動車を乗入れるのは危険な場所であり、しかも小川が本件事故車を停止させたのは約六度の下り勾配のある部分だったのであるから駐・停車には著しく危険な場所であったのである。

従って、一般的に云って、駐・停車車両の降下の危険を防止する為にはサイドブレーキを引くだけにとどまらずエンジンを止め、ギアをバックに入れる等万全の措置を執るべきであるが、季節柄ヒーターを切るわけにはいかないためエンジン停止の措置が不可能であるというのであればサイドブレーキを引いて車止めを置くべきであるという運転者の注意義務があると云わなければならない(この点は、証人佐藤章三の証言によっても明らかであり、同証言の他の部分によれば坂道など傾斜のある場所で運転者が車を離れる(駐車する)場合にはサイドブレーキを引いてギアを入れ、石などの車止めを置くが、運転者が車の中に居る時(停車)は右車止の措置はとらないのが通常であるという交通警察官としての経験事実を認めうるが、これはヒーターを入れない普通の場合のことであることは同証言全体から観取しうるところであり、本件の如く特異の場合のことではない。)。

以上によれば訴外亡小川公二は訴外亡中井礼子を食事に誘い、更に自己運転の本件事故車に同乗させて事故現場に至り、前記の如く自動車運転者としての危険を防止するにつき充分な停車措置をなさないまま、右中井との間に不倫な関係を結ばんとしたもので、その過失はまことに重大である。

しかし、一方訴外亡中井礼子も、同じ病院に勤務する医者と看護婦という関係を越えて、有夫の身であり乍ら深夜本件事故現場の如き危険な場所へ同行したということには一端の過失があったと云うべきであり、両者の過失の割合は訴外亡小川八割、訴外亡中井二割と解するのが相当である。

よって、この割合で過失相殺をなせば、原告正司については金三、四八四、八〇九円(円未満四捨五入)、同久子については金五、〇七七、三七九円(同上)の各損害賠償請求権があることになる。

(損益相殺)

六 原告中井正司本人尋問の結果によれば、原告両名が自賠法に基づく強制保険により合計金三〇〇万円を受領したこと、従ってその相続分に応じ被告正司において金一〇〇万円、同久子において金二〇〇万円を取得したことが認められるから、前記金額からそれぞれ右金額を控除すれば、原告正司において金二、四八四、八〇九円、原告久子において金三、〇七七、三七九円の損害賠償請求権があることになる。

(結論)

七 よって、原告両名の本件各請求は、原告正司にあっては、金二、四八四、八〇九円、同久子にあっては金三、〇七七、三八〇円及びこれらに対する不法行為の日の翌日の後であること明らかな昭和四四年四月八日(訴状送達の翌日たること一件記録及び暦数上明らかな日で、原告両名はこの日以降の遅延損害金を訴求している。)以降完済迄民法所定の年五分の割合による損害金の支払いを求める限度において正当であるからこれを認容することとし、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項、第四項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 若尾元 裁判官 石藤太郎 西理)

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